2005年01月03日

憎みきれないろくでなし

お待たせしました(待ってないですか)。「幻の湖」原作(橋本忍著)読了です。以前書いたように、基本的に映画まんま。我々の疑問にはそれ程答えてくれないサブテキストでござんしたね。まずは以下に、映画に描かれなかった情報を挙げておきましょう。
○お市こと道子の郷里は熊本県。しかも意味無く中盤まで「故郷は北海道」とフェイクを掛けてます。集団就職で愛知県の繊維工場へ。しかし三ヶ月で工場が倒産。その後、劇場のもぎり、クリーニング屋、見習い看護婦等々、職を転々。やり切れない思いを抱きながら思い切って雄琴に飛び込む。
ちなみに映画には描かれていないが、オリンピック公園での日夏とのマラソン対決の前に、道子は郷里へ帰る。日夏を葬って、法で裁かれる前に郷里の人々に会っておきたいという気持ちからである。
映画で唐突に出てきた「実家の裏の桐の木」についても、2本のうち1本は近々結婚する兄の為、そしてもう1本についても道子自身が、倉田との結婚を決意した後、両親への手紙で箪笥を発注している。

○映画のラストで道子は日夏を刺した後、琵琶湖に放り投げる。
逆さ磔の後、琵琶湖に落とされたみつとの対照を成す為には、結構、必要な描写なんじゃないかと思うが、映画ではカット。ちなみに原作も映画同様、このシーンの直後ロケット打ち上げです。

○ローザの属する機関名はやっぱり不明。ローザがワシントンに報告するレポートの表題は「日本に於ける大衆志向産業のG項目」。G項目はトルコ産業を示すと思われるが、他項目のA〜F,Hがどんな産業を示すのかは不明。G項目についてローザは以下のように結論付ける。
「ラスベガスの日本人系ホテルで、客寄せを目的に近くGの行われる可能性があるが、外国機関要路者へのタラシ、落とし込み、目的変更の手段にまでは至らない。一時的に珍しがられても方式に日本人好みの特殊性が強く内容が微細すぎる。」
また、道子の働くトルコ「湖の城」ナンバーワントルコ嬢の淀君(映画ではかたせ梨乃)について、「天性の美貌の持主で一日に男性十八名を昇天させた記録があり、二時間のサービスによる満足感を、四十分に短縮しなおかつその時間差を男性に感じさせない稀代のテクニック保持者で、まさにGの女性になるためこの世へ生誕して来たともいえる女性である。ニューヨークに住まわせ組織への協力者、またはその一員とした場合には、世界史の変革にかなりの意味を持つ存在になると思えるが、肥大化し官僚化した現在の機構で年間三十万ドルの給付は不可能であり実現の可能性はない。」
何かすごくどうでもいい報告を大手町の一等地でワシントンに報告してる諜報機関がありますなー、と。さらにどーでもいい突込みをすると、「世界史の変革」を出来るほどのエージェントなら年間6,000万(昭和55年ごろの1ドル=200円として換算)程度、安いもんじゃなかろうか。

「神は細部に宿る」という言葉があるが、この何となく職業差別っぽい微細な設定が本作の異常性を良く示していると思われる。
他にも犬殺しについて「放し飼い許可証」が云々とか「器物破損」にしかならない、とか。一々変に地名とともに詳細に描かれる「道順」、逐一記される彦根の料理屋の献立(メニューを羅列してるだけなんだけどね)、琵琶湖の水は二百七十五億立方メートル等々、取材ノートを引き写しているような描写ではあるが、道子の外側に立ち現れてくる様々なものが無表情に淡々と描かれる様はそれなりに奇妙な相を呈してくる。
その癖、一方で、絶対に素顔やプライベートを明かさない人物として描かれている犬殺しの犯人、作曲家の日夏が、ローザの調査によると「月一回料理番組に出る。担当はフランス料理」つーことで、テレビ出てんじゃん! てな細部に凝るあまり設定が矛盾してたりっつー抜け作振りが、本作の失敗作振りを良く示している。

○原作には後書があって、「創作ノートより」と題されているので、これは貴重な資料になった。どうも橋本先生、これまで創作時に使用していた和文タイプライターから、当時登場したワードプロセッサー(最初のワープロが東芝製、1978年なので符合する)への移行にショックを受け、良くある老人の勘違いで、LSIというものこそ万能の科学技術と思い込んでしまったらしい。そんなわけで、
「出刃包丁の若い女と、LSIだけではだめだが、仏像を基本におけばなんとか話は成り立つ。(中略)左には人間が作り出した全知全能ともいうべき科学の粋のLSI。右には善も悪も包含し未来永劫まで生き続ける十一面観音の菩薩像。この三つを組み合わせれば話は展開する」という偉く単純な二項対立の物語を思いついてしまったみたいなのである。

だから物語は戦国時代から宇宙開発という、ちょっとした未来まで飛躍するわけで、抗いようの無い時の流れに翻弄される女性として道子はあるわけだ。その意味で、道子は「走る」のではなく、常にシロや日夏を追って「走らされている」のである。1人では走ることさえ出来ないから、沖島に集落を発見し、自分も1人ではないことを発見すると嗚咽するのである。悠久の時の流れの中ではほんの取るに足らない道子の生き様は、ありうべき未来という幻を追うささやかな営みである。宇宙空間から見れば琵琶湖ですら「五百万年ないし一千万年後には」、「やがて陸地に変貌し」、「幻の湖」となってしまうのだから、ただ伝説の横笛だけが、過去から未来への架け橋となり、地球の遥か上空、宇宙空間まで止揚されるのだ、チャンチャン。ということでいかがでしょうか、先生!

というわけで、近いうちに、この原作本、ヤフオクあたりで売っぱってやる。値が付くのか大いに疑問だが・・・。
posted by 西中島・南方 at 18:46| Comment(2) | TrackBack(1) | ムービー★スター | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
TBありがとうございます。
いや、こんなに奥が深かったとは……さすが、見終わった後の脱力感が桁外れだったはずでございます。キング・オブ・トンデモで語り継がれるに値する映画と、深く肯いた今日の夜でございました。
また、お暇な折りにでも遊びにお越しくださいませ。かしこ
Posted by acoyo at 2005年01月31日 02:08
奥が深いのか深くないのか・・・、どっちにしても来世まで、それこそ琵琶湖が無くなる時まで語り継ぎたい一本ですね、いや、ホンマに。
Posted by 西中島・南方 at 2005年02月01日 01:55
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Excerpt: カタナーマンは幻の湖へのオマージュだ 先日の「ワニガメ任侠伝」で市川徹監督を発見し、他の作品を探してみつけたこの「刀男カタナーマン」。 下記オフィシャルHPでも、 http://www.wild..
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